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山形県最上地方紀行~水のロマンと芭蕉の足跡~

2021/10/30

さて、肘折温泉郷を後にして、山間部へ少し戻ります。

肘折は『肘折系こけし』も有名ですね。歴史を遡れば、工人の初代は宮城県の鳴子、そのお弟子さんは遠刈田で修業したとあります。

昨年夏の登山では全く姿を見せてくれなかった月山・・・

今回の滞在時間はずっと、すっかり山頂まで拝ませていただきました。


さて、次に向かったのは”『四カ村(しかむら)の棚田』

山形県は、以前、ブログで紹介した朝日町の「椹平の棚田」と山辺町の「大蕨の棚田」、ここ大蔵町の3か所の棚田が”日本の棚田100選”に選出されているのですね!

「山形県朝日町」探訪2 ~冬の棚田とダチョウに会える町~



肘折の路線から折れて、車で少し走るとのどかな田園風景。

案内版をたよりに進めば、快晴に映えて、まぶしいくらい黄金の稲穂がそよぐ、棚田の姿が!


「四ヶ村(しかむら)」とは呼んで字のごとく

「豊牧(とよまき)」「滝の沢(たきのさわ)」「沼の台(ぬまのだい)」「平林(ひらばやし)」の四集落の総称。

何と起源は鎌倉時代初期という古の歴史をもつそう。


見た目の美しさとは裏腹に、くぼんだ山間部の斜面はとても急峻です。

年間通しての農作業には大変な労力がともない、高齢化によって耕作放棄地が増え、この景観の保存が危ぶまれた時期もあったそう。

日本の棚田百選の認定により、平成14年「四ヶ村棚田保存委員会」が発足。

棚田を保存する重要性、観光農業に向けた取り組みを研修から学び、地元有志の方々が地域活性に向けた活動を行っているとのこと。


肘折温泉と四カ村の棚田のある大蔵村から、そば街道で有名な大石田町、スイカのブランド尾花沢町へと抜け、帰路、最上町へ。

どこをどう走ってもいつの間にか最上川と並走するこの状況。

最上川は、時には右側、気が付くと左側、どれだけ長くて蛇行しているのか・・・とても不思議。

最上町では瀬見温泉や赤倉温泉などを通過し、間もなく宮城県との県境という所で停車。


山形県は”蕎麦食い”の聖地。

ここまでの道程、どこへ行っても蕎麦畑があり、一面に白い花が咲いていました。

車を降りた地点から蕎麦畑の中を進むと、サラサラと心地よい水の音が聞こえてきます。

傍らの貯水池には、睡蓮の花、少し肉厚な白い花弁に血が通って紅潮しているかのような淡い桃色です。


次の目的地は、こちら!・・・????

「分水嶺=分水界となっている山脈。分水山脈」と辞書にあります。


ここ最上町境田には、全国的にも珍しく低地(標高338m)に”水の境界点”があるのです。

しかも、”境田駅”の目の前に。

「分水嶺」・・・初めて聞いた。いや、説明を聞いてもなんのことだか、本当に分からなかった。


つまり、ここより標高が高い場所から流れてきた水が、今、まさにここで!日本海側と太平洋側に分かれて行くという。

冴えて透きとおった水(滴)が、絶え間なく、右と左へ分かれて(別れて)いく・・・

このT字路の淵にかがみこんで、その意思もなく流れゆく様子をじっと見ていると、哀れなような、寂しいような気持ちになりました。


一方は大谷川支流から大谷川・江合川・旧北上川を経て太平洋へ

もう一方は芦ケ沢川から明神川・最上小国川・最上川を経て日本海へ


これから長い時間をかけて大海へと向かい、また水蒸気となり、大地にかえる水の一生にロマンも感じますね。

分水嶺・・・こんなにじわじわと凄さがこみ上げてくる場所って今までなかったかも知れません。


道路向かいには茅葺屋根の立派な「旧有路家住宅」があります。

江戸時代の初期と推定される建造物で、最上町が所有する重要文化財。

江戸時代には庄屋役、問屋役を兼ねていた有路家は、街道筋の旅宿も営み、また、馬産家でもあったとのこと。街道関連の総合商社。

松尾芭蕉が”おくのほそ道”に記した「堺田の“封人の家”」とみなされていおり、逗留した際には

”蚤虱馬の尿する枕もと” という有名な俳句を残しています。

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