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日本フィギアスケート発祥の地~五色沼~
2019/08/16
皆さんこんにちは。
仙台城の麓、仙台市博物館の辺りは青葉山公園と呼ばれていますが、その一角に二つの沼があるのをご存知ですか?
南北に延びる沼を「長沼」と言い、東西に延びる沼を「五色沼」(ごしきぬま)と言います。
長沼沿いには桜が植えられており、桜の名所として知られています。
また、今の時期は睡蓮が咲き、訪れる人たちの目を楽しませています。
長沼から西に行った所にある沼が「五色沼」
ちょうど、仙台市博物館入口付近になります。
この「五色沼」は、日本フィギアスケート発祥の地とされています。
仙台城の廃城(明治維新以降)によって旧城内に庶民が出入りできるようになり、五色沼は明治以降、仙台市のスケートの中心地として賑わっていたそうです。
五色沼では明治23年(1890年)頃、仙台在住の外国人がスケートを始め、明治30年(1897年)頃にアメリカ人が子供たちにフィギアスケートを教えたことがあり、これを以って、五色沼が「日本フィギアスケート発祥の地」とされたそうです。
また、明治42年(1909年)頃、旧制第二高等学校(現在の東北大学の前身校)の生徒が、ドイツ語教師からフィギアスケートを習い、各地でフィギアスケートの普及に努め、日本スケート界の功労者と言われる人たちがいるそうです。
五色沼では、フィギアスケートに限らず、様々なアイススケートを市民が楽しむようになり、仙台市電(1926年開通)が開通し、最寄り電停が設置されると、冬季の娯楽の場となったそうです。
しかしながら、仙台も昭和30年代に入ると高度成長期となり、ヒートアイランド現象等の影響で厳冬期に氷は張るものの、人が安全に氷上に乗ることは不可能となました。これにより昭和31年(1956年)に開催されたアイスホッケーが最後の大会競技となり、五色沼のアイススケート場としての歴史は終焉を迎えました。
五色沼から始まった日本のフィギアスケートの歴史。
皆さんも歴史の始まりの場所である五色沼を訪れてみてはいかがでしょうか?
それではこの辺で
後藤