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出羽国庄内藩紀行3 ~庄内の心魂を伝える『致道館』~

2022/06/26


鶴岡市にはシンボル的な歴史建造物がたくさんありますが

『致道館』は”庄内藩の教え”を現代に伝える場という意義からして、抜きんでた存在であると感じます。


『致道館』という名前の由来は、論語の一節「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス(子張第十九 7)」からで「日々自分の任務を誠実に遂行し、その役割を完成させること」という注釈があります。

藩政時代に武士の子弟の教育機関として各藩が設置した藩校は、明治時代を迎える頃には、全国で270校を数えるほどに。

数少ない当時のままの姿で現存(講堂や各門など一部)する藩校の一つで、宮城県では岩出山の有備館が有名ですね。



儒学の祖である孔子を祭る「聖廟」という建物があり、聖像(県指定有形文化財)が飾られていました。


毎年2 月と8 月には、「釈奠(せきてん):食物や酒をささげて聖人や先師を祭る祭礼)」が執り行われたそうで、儀式で使われる立派な「祭器」も展示されています。


学びの場らしく、静粛な雰囲気の庭を通り抜けて、講堂へ。


庄内藩学の基礎となったのは、江戸時代中期の儒学者 荻生徂徠(おぎゅうそらい)の「徂徠学(そらいがく)」

朱子学が主流だった当時、古文辞学(こぶんじがく)ともいわれ、孔子の教えを後世の注釈にとらわれず、読み・研究するこの学問が採用されました。

これを修めた藩士が、良い指導者となり、抜群の手腕を振るったことから、藩校で行う学問として、庄内藩主の信任も厚く大いに推奨されたそうです。


「敬天愛人(天を敬い人を愛すること)」西郷隆盛が学問の目的として述べた言葉。

驚いたのが、西郷隆盛と庄内藩との交流でした。

戊辰戦争では「奥羽越列藩同盟」に連なる庄内藩は、戦況において負け知らずの屈強さを誇っていた藩で、西郷が率いる新政府軍と対立関係にあったはず・・・

ところが庄内藩は、戊辰戦争後、新政府からの厳しい処罰を覚悟していたところ、西郷の意見により、非常に寛大な措置を言い渡されたとのこと。

上記の措置に対して感謝を伝えに鹿児島まで西郷を訪ねた庄内藩士。

以来、交流がはじまり、酒田市には西郷隆盛を祀る「南洲神社」もあるほどの親しみを寄せています。

また、薫陶を受けた庄内藩士が西郷の教えを編纂した「南洲翁遺訓」は、庄内の人の手によって全国に広められたそうです。

この地は、仁と義に厚い人柄、土地柄なのが良く分かりました。


波乱の生涯を駆け抜けた 渡辺崋山(江戸末期の蘭学者・画家)の「一掃百態」

寺子屋で学ぶ子供たちの様子を生き生きと描いた絵が魅力的。

致道館では、今現在も、畳敷きに膝を揃えて正座した子供たちが先生の音読に続いて、論語を読み上げる光景がみられます。

膨大な論語の中から、子供たちの行動指針に関わるものを厳選したという「親子で楽しく庄内論語」は、鶴岡市の小学校で取り入れられている教材。

「致道館教育の特色は「天性重視・個性伸長」と「自学自習」、「会業(小集団討議)」 にあります。生徒一人ひとりの生まれつきの個性に応じてその才能を伸ばすことを基本にしながら、知識を詰め込むことではなく、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじました。」(国指定史跡庄内藩校「致道館」 – 鶴岡市HPより)

現代の「総合学習」にも繋がる教育目的、骨太な庄内の心魂と言えます。

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