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青森紀行その2~十和田湖と奥入瀬渓流~
2023/05/20
ここは、『十和田湖』・・・のはず。
ちょうど天候の変わり目なのか、雲が急ぎ足の上空の影響をモロに受けた強風。
荒れた日本海を彷彿とさせる白波が立つ湖面と打ちつける波(?)しぶき
これだけ離れていても、霧状の水を浴びているのが分かるくらい。
さっきまで、波止場近くで写真を収めていた人が大急ぎで車に戻り、そそくさと去っていきましたが、遠目にも、あんまりの状況に笑っちゃっていたのが確認できました。
『十和田八幡平国立公園』を代表する景勝地の一つである、十和田湖は青森県と秋田県にまたがり一周約50kmの大きさ、日本で3番目の327mの水深を誇ります。
約20万年前からの火山活動によってできたカルデラ湖で、つまり、噴火でできた凹部に長年の雨水が貯まってできたもの。
さて、十和田湖周辺には、観光地だけあって広大な駐車場があり、ここでも外国の方の団体を乗せた大型バスに遭遇。
休屋地区の御前ヶ浜に建つ十和田湖のシンボル『乙女像』へと一斉に向かいます。
片側が林となっている湖のほとりを歩いていくと、ほどなく・・・
『乙女像』高村光太郎(詩人・彫刻家)作
傑作の一つと称されるもので、高村光太郎は次作の制作途中で他界したため、この乙女像は事実上の遺作。
十和田湖は昭和11年(1936年)に国定公園の指定を受けますが、十和田湖を世に知らしめた功労者3人の顕彰事業が指定15周年記念事業が持ち上がり、高村光太郎は制作依頼を受けたそうです。
当初、自然石の記念碑を建立する方向だったそうですが、十和田の景色は世界に通用するものだ!という当時の知事の強い意志でもって、芸術作品の製作・設置へと踏み切ります。
高村氏は、「自然美には、人工を受け入れるものと受け入れないものの2つがある。現地を見て決めましょう」と言い十和田湖を訪れたところ・・・
創作意欲とイメージが膨れ上がったそうで、(珍しく)完成まではそれほどの時間を要さなかったとの記述がありました。
昭和28(1953)年の完成から70年、この地にあります。
高村光太郎が発表した『十和田湖畔の裸像に与う』
(前略・中略)
女の裸像が二人
影と形のように立ってゐる
いさぎよい非情の金属が青くさびて
地上に割れてくづれるまで
この原始林の圧力に堪えて
立つなら幾千年でも黙って立ってろ。
最後の一行にある「黙って立ってろ」は、思わず声に出してしまうほどの衝撃を受けました。
乙女像から「開運の小径」を過ぎると、参道が見えてきました。
ここに鎮座するのが 「十和田神社」
祭神は日本武尊でありますが、神仏分離まで十和田青龍大権現(伝説によると霊験により九頭の竜と化した僧侶”南祖坊”が大蛇となった八郎太郎を退治した)を祀り、東北地方の水神信仰の象徴であったそうです。
いつか行きたいな~と憧れていたところの一つ!奥入瀬渓流
十和田湖(子ノ口)から注ぎ、焼山まで約14km続く、日本屈指の渓流です。
時間の関係でフルで散策は出来なかったのですが・・・車で進むと車道から少し降りたところに遊歩道がついていました。
見どころの一つ、銚子大滝
奥入瀬渓流にかかる随一の滝で、高さ7m、幅20m
清らかな水の流れは集められてドウドウと音を響かせて下降、然る後、静々と流れに沿う様は見ていて飽きることはありません。
先ほどの滝もそうでしたが、濃い鋼色の規則性のある形の岩がブロックを積み上げたような形状になってます。
十和田湖の一帯は、火山活動によってできた溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん:降り積もった火山灰や軽石がかたまってかたい岩石となったもの)が特異な景観を成すに至っています。
奥入瀬では、数百℃もの火砕流堆積物が冷え固まるプロセスの違いで、特に横への亀裂が入った板状(ばんじょう)節理、四角いブロック状の方状(ほうじょう)節理の岩が多くを占めているそうです。
この時期(4月下旬)は落葉樹が葉を落としてますが、緑が溢れる時期、緑陰が多くなる奥入瀬の地域は、コケやシダといった植物の楽園になります。
特に岩や倒木の上、石垣や巨樹の幹などを覆っているコケは300種類を数えると言われ、全国の苔ファンを魅了し、日本蘚苔類学会から学術的に貴重な「こけの森」とされているとのこと。
奥入瀬の印象は、穏やかとか、牧歌的というより、厳つくて神秘的な雰囲気
それは、気の遠くなりそうな時が降り積もる岩が創る地形とひっそりと今を全うする植物の息遣いを感じるからかも。
ただそこに在る自然って、人を誘うというよりも
人がほんのひと時、垣間見ているような気持になるから不思議です。