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【青葉区・史跡探訪】~林子平の墓を訪ねて~

2018/06/08

皆さんこんにちは。

6月になり、仙台の街並みは新緑に染まりましたね。ドライブにはとてもよい季節になりました。

さて、今回は久しぶりに弊社が仙台市から受託している青葉区にある史跡のひとつを紹介したいと思います。

今回紹介するのは、青葉区子平町にある曹洞宗の寺院「龍雲院」です。

龍雲院正門



龍雲院には、「寛政の三奇人」の一人である「林子平(はやししへい)の墓があり、「子平町」の町名はこの寺院に葬られている仙台藩士「林子平」の名に由来します。

林子平とは、先にも述べた通り「寛政の三奇人」と言われています。ここでいう奇人とは【変わり者】という意味ではなく、【優れた】という意味です。

林子平が長崎から持ち帰った日時計



林子平は江戸時代に北は松前(北海道)から南は長崎まで行脚し、長崎や江戸で色々なことを学び、『三国通覧図説』という地理書や軍事書『海国兵団』を出版しました。

しかしながら、当時は幕府の要人以外の者が幕政に関わることはご法度だったため、この二つの書は発禁処分が下され、江戸から仙台へ強制的に帰郷させられ、蟄居(家の中に閉じこもって外出しないこと)の処分となります。

林子平は、1793年(寛政5年)6月21日に56歳で生涯を閉じています。

龍雲院にある子平の墓は立派な鞘堂に覆われ、傍には伊藤博文が建立した石碑があります。

            林子平 鞘堂



            林子平の墓



「林子平その人と思想」平重道著によると、伊藤博文は明治政府の要職に就いていた明治12年に東北を巡視し、子平の墓を訪れたが、その頃の墓はあまりに荒廃していたため、子平を慕っていた伊藤博文はその様を嘆き、子平の偉業を後世に残そうと碑の寄進を決めたそうです。

(産経ニュースより抜粋)→詳しくはクリック

林子平の墓は、昭和17年に国の史跡に指定されています。

 

仙台市内には色々な史跡や名所があります。

特にこの時期は新緑に覆われ、訪れるには最高の季節です。
皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか?

龍雲院の場所はこちらになります。


これまでに訪れた史跡は過去の記事にて見ることができます。

興味ある方はご覧ください。⇒ ApiAction

それではこの辺で

後藤

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