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復興大学「現地実習」~荒浜・閖上編~【その1】

2019/10/21

復興大学の「現地実習」は今年度、3回開催されます。

第2回は荒浜、閖上へ。

このコースをご案内いただくモデレーターは、東北工業大学ライフデザイン学科安全安心生活デザイン学科教授の中島敏先生です。

中島先生ご自身が長年、荒浜にお住まいで、津波被害によりご自宅とお仕事場を失ったそうです。中島先生が体験されたお話も大変貴重なものでした。

先祖代々、海の恩恵を受け里海文化を培ってきた海岸地区の現在の姿。

そして、被災された方々のお話、今なお復興のために力を尽くす自治体の方から復興過程と今後の計画など、その場その場で説明を頂きながら巡ります。

AOBAは若林区の蒲町に所在します。

同地区が仕事場となることも多々ありますが、この現場実習に参加にする度、復興の状況やどんな人々が関わって今があるのか等、やはり知らないことが多いことを気づかされます。

 

さて仙台駅を出発したバスは最初の目的地、地下鉄東西線「荒井駅」に到着。

駅舎内にはせんだい3.11メモリアル交流館が併設されており、

震災の記憶を伝えること。

そして、震災より前の地域の記録や記憶を伝える、そういう場になっています。

 

駅舎1階、一角の壁一面が沿岸地区の地図になっています。

等高線に沿った立体的な地図のおかげで、土地の高低感がよく分かります。

まさにここは”仙台平野”



現在地である荒井駅の位置を確認した後、あらためて浸水したエリアを見てみます。

海岸線がまっすぐに伸びている地区であることを実感し、例えば東部道路が横断しているなど様々な条件で浸水域に違いが出ていることもよく分かりました。



スライドでは、地元の皆さまには懐かしい震災前の地域の様子が映し出されます。

その後全く同じ場所の震災の前・後の写真が投影されると、自然の驚異と災害の残酷さが胸を突きます。

信じられない変わり果てた光景。

はじめて現地に赴いた人には、その面影すら見つけられないことでしょう。



 

続いて、駅舎の2階の常設スペースへ。

発災から時間の経過ともに変わっていく景色、そして立ち上がっていく人々や復興への活動の様子を知ることができます。

今回はこういったメモリアル施設や震災遺構などで”語り部”として活動されていらっしゃる皆さまに、多数お目にかかることができました。



また、とても何気ないのですが・・・

床の一部やテーブルの天板は、近隣学校の体育館の床だったもの、教室で使っていたイスだったりします。

震災前の日常に使われていたモノ達を少しでも残しておきたい、との思いから。



今回、一番、ショックを受けた写真。



こちらの写真は“白黒”ではありません。

よくよく見るとほんのわずかに色があるのですが、あらゆるものが黒い泥をかぶったモノクロの世界。

避難のために歩いて内陸方面に向かい、東部道路を超えた瞬間に目に入ったのは“色”だったそうです。

以前、他の被災地でも耳にした、写真や映像では伝わらない、“におい”や、“いろ”がある、という言葉を思い出します。



自治体と各業界団体が連携し迅速に震災廃棄物の処理を完了させたという“仙台方式”。

2015年の国連防災世界会議では世界に発信されました。

 

同じ2階フロアの展示スペースです。

企画展「貞山堀より愛をこめて~震災から8年後のふるさと~」の会期中でした。



言わずもがなのことですが・・・

卓越した手腕で藩政を行った伊達政宗公(諡号:貞山公)の名を持つこの”貞山堀(運河)”は、政宗公時代の江戸から明治時代にかけて建設され、全長約46kmにもおよぶ日本最長の運河です。



多くの物資の輸送や人々の生活の足となった大切な貞山堀。

この企画展では、高齢者から若手世代まで、様々な立場の方の”貞山堀”に対する想いが綴られています。

運河交通の様子、そして集落や家屋、服装など当時の暮らしぶりが分かる貴重な映像が流れていました。

(荒浜地区の遠足や修学旅行は運河を使って塩釜まで行ったとか!)

この現場実習の日は、折しも台風19号が迫りくる直前の日でしたが、朝から降っていた雨はあがり、ここから閖上方面へ出発しました。

次回に続く。

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