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歴史探訪~支倉常長が眠る寺 光明寺~

2018/10/30

皆さんこんにちは
10月もあと数日で終わりますね。
今年も残すところ2ヵ月となりました。

仙台の山々は紅葉が見頃を迎え、中心部のイチョウは黄色く色付き始めました。
朝晩は寒いですが、ちょっと外に出て紅葉を愛でるのはいかがでしょうか?

さて、今回の話題ですが、
歴史探訪ということで、青葉区北山にある「光明寺」をご紹介したいと思います。

 

              本堂



               本堂



 

光明寺は臨済宗のお寺で、伊達家初代当主「伊達朝宗(ともむね)」の夫人「光明寺殿」の菩提寺として、福島県伊達郡(現在の伊達市)」に創建され、1604年に現在の仙台市青葉区北山に移りました。

光明寺を含む青葉区北山(北山丘陵)にある5つの仏閣は、「北山五山」と呼ばれ
仙台城の鬼門を守る意味の他、奥州街道の関門として、仙台城下町の北の守りとされていたそうです。

このお寺には、慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)として仙台藩主「伊達政宗」の命によりローマに赴いた「支倉常長」の墓と宣教師ルイス・ソテロの顕彰碑(記念碑)があります。

本堂の脇にある藤棚を抜け、舗装された坂道を下った左側に案内板があり、そこを進むと大きな木々に囲まれた支倉常長の墓が見えてきます。

墓の右側に宣教師ルイス・ソテロの顕彰碑があり、その奥には支倉家の墓が建てられていました。

           支倉常長の墓



         宣教師ルイス・ソテロの顕彰碑



私は初めて訪れたのですが、この支倉常長の墓の辺りは空気がピンと張り詰めているというか、周辺とは違い、厳かな感じを受けました。
神社仏閣は訪れると、何かしら空気感が違うと改めて思いました。

 

ところで皆さんは、支倉常長はどういう人物かご存知ですか?

支倉常長は1613年、仙台藩主伊達政宗の命により、慶長遣欧使節としてヨーロッパに渡航しアジア人として唯一無二のローマ貴族及びカトリック教徒となった人物です。
スペインやローマに通商交渉のため訪れた支倉常長でしたが、当時の日本国内ではキリスト教の弾圧が始まっていて交渉は成功せず、数年間のヨーロッパ滞在の後、1620年に帰国します。
帰国時、日本では禁教令が出されており、支倉常長は失意のうちに帰国から2年後に死去したと伝えられています。

ちょっとここで支倉常長のお墓にまつわる謎(?)をご紹介。
実は宮城県内には支倉常長のお墓が3つあるんです。

一つ目は今回ご紹介した青葉区北山の光明寺
二つ目は宮城県川崎町支倉地区にある円福寺
三つ目は宮城県大郷町の支倉常長メモリアルパーク内

どの墓が本物かはわかりませんが、
3つすべての墓に歴史が刻まれ、現在まで伝承されているのではないでしょうか?

この機会に、仙台が誇る歴史人の史跡を巡るのはいかがですか?

光明寺の場所はこちらです。


それではこの辺で

後藤

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