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9年目の陸前高田市

2020/08/12

久しぶりに岩手県陸前高田市を訪れました。この度、3度目になります。

東日本大震災の被災地の中で、最大規模の嵩上げ工事を実施した陸前高田市。

近くの山から土砂を運び出すため、市域を縦横無尽に巨大ベルトコンベヤーが巡っていて、初めて訪れた時は、そのとてつもない大きさに驚愕したのを覚えています。

実際、ベルトコンベヤーが観光資源とも呼ばれていたようで・・・運転が終了した日には、新聞やテレビでも報道されていました。

 

さて、陸前高田市と言えば、広田湾に面する 名勝『高田松原』

海岸の白砂を濃緑で彩る美しい松林は350年もの間、地域に愛され、地元人の誇りでした。

しかし、2011年の大津波はその松原の姿を一瞬で変えたのです。

 

現在は『高田松原津波復興祈念公園』として整備が進み

昨年秋には一帯の核とも言える2つの施設がオープン。

「道の駅 高田松原」

「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」

ここは、”奇跡の一本松” や複数の震災遺構が人々に震災の記憶や記録を伝え

犠牲となられた方々に祈りを捧げる場所でもある

とても美しい海辺の公園に生まれ変わっていました。


長い建物の中央にあるピロティは、くり抜かれた天井から注ぐ自然光と湧き出る水音が溶け合う空間。

訪れた人々を海と祈りの場へ誘うと同時に、心を静かにしてくれます。

建物もよく見ると天井や壁など、土地の木材がふんだんに使われている模様。


建物を抜けて進み、高さ12.5mの防潮堤と一体になった ”海を望む・祈りの場” から建物を振り返ってみます。


この場所には献花台があり、広田湾を一望することができます。

(建物からまっすぐ伸びる園路の途中にも献花台がありました)

少し目を移せば、震災遺構の ”旧・道の駅「高田松原」タピック45” も。


防潮堤を降りて、河川沿いを進むと、”奇跡の一本松”、そして ”旧 陸前高田ユースホステル”


 

この日は、早朝の曇天から次第に晴れていく空模様で、視界を奪うくらいの ”気嵐(けあらし)” がすごかった!

太陽が高くなるにつれ、濃い水蒸気がどんどん山の方向へ流れていきます。

そして、防潮堤の上から見えた圃場らしきエリアには・・・松の苗木??


 

”高田松原を再生する”という活動は、震災後、すぐに始まっていたのですね。

NPO法人高田松原を守る会

この圃場が完成するまでの間・・・

高田松原の松かさから実生したものも含め、全国の皆さんが苗木を預かって下さり、大切に育ててくれていたそうです。

その数、約7,000本。

また、過酷な環境の中、命を繋いだ海浜の植物達もいて

それらは近隣の町に避難させて復旧工事から守り、いずれこの場所に帰ってくるとのこと。

 

新しい『高田松原』 の姿となるまで、50年を要するそうです。

これから50年という時間が長いと思うよりも・・・

もう一度、松原を取り戻すという行動が、あの 9年前 、すでに全国的にはじまっていたことに胸が打たれました。

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